Intertel
Intertel は、世界的に知られる高IQ団体の一つで、入会には上位約1%以上の知能水準が求められる国際組織です。約60年の歴史を持ち、世界各国に会員を擁し、独自の公式ジャーナルを発行しています。
本論考は、その公式ジャーナルに掲載されたものです。
「地頭」という言葉については、能力や仕事力など様々な観点から定義しようとする議論が多くありますが、本稿ではそれを積み重ねるのではなく、なぜそうした定義が生まれ、繰り返され、汎用性の高い能力用語として共有されていくのかに目を向けています。
地頭とは何か
「地頭」については、すでに多くの解説が出回っています。しかし、その多くは「地頭」という言葉を前提に、能力やコミュニケーション力、努力、学歴、あるいは要領の良さといった観点から説明されているように感じられます。
そもそも、「地頭」という言葉はなぜ日本社会で用いられるのでしょうか。
そこで本稿では、一度立ち止まり、「地頭(じあたま)」という言葉そのものを見直すことから出発しました。なぜこの言葉が評価語として機能しているのか。なぜ人はこの言葉に惹かれるのか。さらに言えば、なぜ曖昧なまま一つの基準のように扱われ続けているのか。こうした問いを起点に、本論考をまとめています。
本論考は、高IQ団体 Intertel の編集部による審査を経て、同団体の公式ジャーナル『Integra』に掲載されたものです。
現在はPDF版および冊子版(国際郵送)として、世界40カ国の会員に共有されています。
ここでは、その一部をご紹介します。なお、本稿には、海外向けに英語で執筆したものと、日本の読者向けに書いたものの二種類があります。いずれも別個に執筆したものですが、扱っている本質は共通しています。全文(日本語版)は、以下のリンクよりご覧いただけます。
Integra 2026年3月号 掲載論考 (PDF)
Intertel公式ジャーナル『Integra』
2026年3月号 表紙
掲載論考「地頭とは何か」
冒頭ページ
執筆:Hiroyuki Shigeta(重田弘之)
本文より抜粋
(能力評価に関する考察)
本掲載は一部抜粋であり、残りの紙面については公開していない。
本文より抜粋(5ページ)
なぜIQではなく「地頭」という言葉が用いられるのか。その理由を、教室内での体験や記憶との関係から説明している。
私が執筆した論考は、国際高IQ団体であるIntertel(1966年設立)が発行する公式ジャーナル誌「Integra」2026年3月号に掲載されたものであり、本ページではその一部を抜粋して公開している。
本論考では、様々な背景を持つ人々へのヒアリングと、これまでに蓄積してきた観察・記録を基に、それらを統合・整理することで見えてきた「共通体験」を主題としている。
すなわち、「かつて教室で目撃した圧倒的な生徒」の残像は、学歴や知能の水準に関わらず、多くの人において相対的に共有される体験として存在している点に着目したものである。
INTEGRA
実際の掲載紙面
認知プロセス
「発想力がある」「行動力がある」「コミュ力が高い」といった“地頭の定義”そのものが、実は過去の記憶や感情との照らし合わせから生まれている。そのことが意識されないまま、「地頭」というイメージだけがどんどん大きくなっていく。
地頭とは能力ではない
【論考の要点】
――地頭の正体。
地頭とは、能力概念を表す言葉ではなく、記憶である。
本稿の核心は、日本において様々な評価指標が存在するにもかかわらず、あえて曖昧な言葉、すなわち「地頭」という表現が用いられる心理的メカニズムに踏み込んでいる点にある。
日本の学校教育(いわゆる6・3・3制)を通過した人であれば、ほぼ例外なく、教室の中で「どうしても超えられない圧倒的な一人」を目撃している。努力だけでは到達できないと感じさせる存在である。
そしてそのとき、人は単に能力差を認識するだけでなく、驚きや畏怖、時には劣等感といった強い感情を伴って、その存在を記憶する。
【記憶の行方】
では、その記憶はどこへ行くのか。
かつて目撃した圧倒的な存在の記憶や、そのときに生じた感情が消失しているとは考えにくい。むしろ、それらは表面意識からは自覚できなくとも、評価の基準として深層に残り続けていると考える方が自然である。
地頭を「処理速度」や「構造化能力」といった言葉で説明する見方もある。しかし、そのように説明できるのであれば、あえて曖昧な「地頭」という言葉を使い続ける必要はない。
そのため、人は「能力」を評価しているつもりであっても、実際には無意識のうちに、かつての記憶と照合する形で判断を行っている可能性が高い。
本稿が提示しているのは、「地頭」という言葉の正体が能力そのものにあるのではなく、その背後に潜む記憶と感情に基づく“照合の繰り返し”という構造にあるのではないか、という視点である。
「かつて教室で目撃した圧倒的な人物」という記憶は、「6・3・3制度」という長い時間の中で定着し、強い感情とともに残り続ける。その結果として、その人なりの残像が基準となり、様々な「地頭」の定義や解釈が生まれると考えられる。そして、その人物がその後どうなったかは重要ではない。問題となるのは、当時その存在を目撃したという経験そのものにある。
すなわち、地頭とは能力ではなく、共有された記憶による照合行為の繰り返しであり、いわゆる「地頭の能力定義」は、それに付随して生じる現象に過ぎない。
当然ではあるが、認知は誰もが同じではない。したがって、人によって経験や感じ方は異なり、同様の記憶を持たない人や、別の見方をする人もいる点は補足しておく。
「地頭」という言葉の弊害
学校の成績とは関係のない分野で「地頭」という言葉を使えば使うほど、かえって学歴の見え方は実際以上に大きくなり、バイアスが強まっていく。その背景には、「地頭」という言葉が、多くの人にとって過去の学校教育の記憶と結びついているという事情がある。
人は幼少期や思春期に、教室の中で「圧倒的に勉強ができる一人」や「自分より成績が上の人物」を目にしている。その体験は、程度の差こそあれ、記憶として残り続けている。
曖昧な評価語であるために、自覚されないまま集団教育の中で形成された感情と記憶が結びつき、無意識に学歴バイアスが強まっていく。
その結果、本来は10程度の差であっても、50にも100にも見えてしまうことがある。
こうした見方が積み重なると、社会全体の価値観も、知らないうちに学校の評価基準に引き寄せられていくように思う。その結果、柔軟さが失われ、「なかなか変わらない」状態が当たり前になってしまうこともあるのではないだろうか。
だからこそ、「地頭が良い」といった曖昧な言い方でまとめるのではなく、本来あるはずの具体的な能力の名前で、一つひとつを丁寧に見ていく必要があるのではないかと考える。
補足考察
本稿では、「地頭」という評価用語の心理的基盤として、「圧倒的な一人」の記憶という仮説を提示した。ここでは、その記憶がどのように形づくられていくのかについて、補足的に整理しておきたい。
日本の学校教育は、小学校から高校に至るまでの集団教育を前提としている。多くの場合、同じ教室で、似たような学習環境と評価の中に長く身を置くことになる。
この反復の中で、多くの人はある人物像を繰り返し目撃する。すなわち、「努力しても追いつくことのできないほど勉強ができる生徒」である。この経験は単なる能力の観察ではなく、強い感情を伴った記憶として残る。
こうした記憶の蓄積が、日本社会における能力評価の前提として、無意識のうちに共有されているように私には感じられる。
もし現代のような学校制度が存在しなければ、このような共有記憶は形成されなかった可能性が高い。結果として、偏差値や学歴が現在ほど強い説得力を持つこともなかっただろう。
本稿は学校教育そのものを否定するものではない。しかし、社会構造を維持し、「誰を有能とするか」という潜在的な基準を広く共有させる装置として、学校教育が強く機能してきた側面は否定しがたい。
人間の能力は本来、多様な方向に分岐している。しかし、「6・3・3」の教育過程の中で繰り返し刷り込まれる「圧倒的な一人」という記憶が、能力の基準を心理的に単一方向へ収束させ、その結果として「多様な方向への分岐」を疎外する一種のボトルネックとして機能している可能性があることを、一つの視点として提起する。
地頭に関する意識調査
教室で圧倒的に勉強ができる人物を見た経験に関する対面調査
2020年から2025年にかけて、対面での聞き取り調査を継続的に実施。
168名を対象とした調査結果を整理し、その傾向を視覚的に示したものである。
本調査内容は、高IQ団体とも共有済みである。(2024年12月14日)
調査結果の全体像
5年間にわたり、168名を対象にアンケート調査を実施し、その回答を整理・可視化した。
説明による認識変化の結果
地頭とは記憶、残像だと思うかという問いに対し、対象者168名のうち54%が「そう思わない」と回答した。
しかし、「地頭とは過去の記憶との照合行為であり、その照らし合わせの結果として出力されるものである」という具体的なメカニズムを口頭で丁寧に説明したところ、当初「そう思わない」と答えた91人のうち86%(78人)が、「言われてみればそうかもしれない」と認識を変えた。
本調査内容は、高IQ団体とも共有済みである。(2024年12月14日)
論考概要
分野
文化人類学
知能研究との接続領域
論考内容
観察に基づく仮説的論考
(約5年半にわたる観察・記録の蓄積を基盤とし、日本社会における「地頭」評価の実態を分析。教室内における圧倒的な存在の記憶など、複数の共通体験を手がかりに、その構造化を試みる)
論考性質
本稿は、観察に基づく仮説的論考として構成されている。
掲載
Intertel発行『Integra』掲載(2026年3月号)
ISSN 0279-9995
InterteI 会員証明書
高IQ団体 Intertel の会員資格を示す証明書
本論考が公式ジャーナルに掲載された事実の裏付けとして、証明書を掲載しています。